7月24日 ベルナルド神父様
聖マリアンナチャペルギャラリーでの展覧会も無事に終了し、搬出の為に夫婦で神奈川県に行きました。
上野毛教会の近くのホテルに宿泊したので、この日は朝ミサに与ることができました。
すべてを照らして下さる神よ、あなたは暗闇にさまよう人たちがまことの道に立ち帰るように、真理の光を輝かせてくださいます。洗礼を受けたすべての人が、信仰に反することを退け、キリストに従って生きることができますように。(集会祈願)
第一朗読
エレミヤの預言
主の言葉がわたしに臨んだ。
行って、エルサレムの人々に呼びかけ耳を傾けさせよ。
わたしは、あなたの若い時の真心 花嫁の時の愛 種蒔かれぬ地、荒野での従順を思い起こす。
イスラエルは主にささげられたもの 収穫の初穂であった。
それを食べる者はみな罰せられ 災いを被った、と主は言われる。
わたしたちは、お前たちを実り豊かな地に導き 味の良い果物を食べさせた。
ところが、お前たちはわたしの土地に入ると そこを汚し わたしが与えた土地を忌まわしいものに変えた。
祭司たちは尋ねなかった。
「主はどこにおられるのか」と。
律法を教える人たちはわたしを理解せず 指導者たちはわたしに背き 預言者たちはバアルによって預言し 助けにならぬものの後を追った。
天よ、驚け、このことを 大いに、震えおののけ、と主は言われる。
まことに、わが民は二つの悪を行った。
生ける水の源であるわたしを捨てて 無用の水溜めを掘った。
水をためることのできない こわれた水溜めを。
福音朗読ではマタイの13節10-17でした。
・持っている人は更に与えられて豊かになり、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。
・見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。
・多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。
数年前まで大分県のカルメルの園で数十年に亘って司牧しておられ、現在は東京上野毛にあるカルメル修道会にいらっしゃるベルナルド神父様にお会いすることができました。わたしたち夫婦は何度かお会いしたくらいで、ごミサにも数度与った程度です。大分にはベルナルド神父様と共に歩み、信仰を育てて頂いた親しい信徒の方々が今でもたくさんいます。
ごミサの後、神父様はわたしの両手を、その両手で優しく強く包んでくださり、「これからも神様を描いてください。お祈りしています。」と仰って下さいました。神父様のお顔もお声もお話も、そのすべてを通してわたしたちにイエス様の愛を届けて下さっているようでした。
「わたしの心は半分大分にあります。」
ベルナルド神父様と親しい信徒のみなさんは、現在でもカルメルの園の掃除などしておられます。その際には教区の神父様がごミサを捧げて下さり、その後は以前のように手作り料理を持ち合い和気あいあいと食事会などもしています。カルメルの園で共に過ごした信仰の日々がみなさんの心にしっかりと残っているそうです。
大分の地での最後の最後にお会いした年少のわたしたちにでさえ、こんなにも神様の恵みを感じさせてくださるのですから、他のみなさんは如何ばかりかと少し心配になります。
ベルナルド神父様に祝福していただいた聖なる十字架が、今もわたしたちの家の中心にあります。