福者ペトロ岐部司祭と一八七殉教者

2014年07月01日 10:44

今日は福者ペトロ岐部神父様と187人の殉教者の記念日です。

188名の殉教者は、1603年~1639年江戸時代、ペトロ岐部神父様を含め数名の司祭もいますが、ほとんどの方がわたしたちと同じように信仰を持ちながら社会で暮らしていたさまざまな社会的立場の人たちです。そして迫害の中でも愛と希望と信仰を失うことなく命を捧げて証ししてくださいました。わたしたちもこの純粋でまっすぐな神様への信頼に倣って、生きていかなくてはと思います。


マタイによる福音

そのとき、イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。すると、湖に嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった。イエスは眠っておられた。弟子たちは近寄って起こし、「主よ、助けてください。おぼれそうです。」と言った。イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」そして、起き上って風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。人々は驚いて、「いったい、この方はどういう方なのだろう。風も湖さえも従うではないか。」と言った。


司教様は、わたしたちはいつも不満や怒り、情欲などの欲望、恨みつらみで今にもおぼれそうになります。そんな時は「主よ助けてください。おぼれそうです。」と訴えなさい、願いなさい、叫びなさいと優しく諭して下さいました。イエス様はわたしたちが生きて行く中で、度々襲ってくるさまざまな嵐の時にも一緒に傍にいてくださっています。イエス様をゆすって起こしなさい。自分の力では抗えずおぼれてしまいそうな時は、イエス様にお願いしなさい。そうすればいつか自然と怒りやよこしまな欲望などから抜け出し、主がこの世に残し、与えてくださった平安の中で過ごすことができるようになりますよ、と教えてくださいました。

最初は腹の立つことを言われたりされたりすると、3日間くらい怒りに捕えられどうにもならない感情で一杯になっていたり、どうにか仕返しをしてやろうと悪に悪を返そうとおぼれていた心が、「主よ助けてください。起きてください。許せるようにしてください。」と祈ることで、1日で気分が収まるようになり、3時間、1時間、15分・・・と少しづつ短くなり、穏やかに過ごせるようになってくるそうです。

自分で解決できる、しなければ、と頑張ってもなかなか難しいものです。イエス様の言われる「許す」心へと導いてくださる素晴らしい学びのミサでした。


今日はわたしたち夫婦が数年前、神様を求め、カトリック教会を訪ねた日です。ペトロ岐部神父様と殉教者のみなさんが、神様のもとへ導き、励まし、支えてくださっていることへ感謝する日でもあります。また、わたしたち夫婦のような何の役にもたたないできそこないを召しだしてくださった神様に心から感謝する日として記念しています。