とても大切なこと

2014年06月18日 23:10

昨日、福音朗読のあとの少し長めの説教がとても楽しみになりました。

以前、マタイによる福音は、特に旧約の教えを守り暮らすユダヤの人々に向けて書かれたと教えて頂きました。

「あなたがたも聞いているとおり、『隣人をあいし、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたにどんな報いがあろうか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」(マタイ5.43-48)

わたしたちは、あの人だけは許せない、とか許してもいいけど向こうが謝ってきたら・・・なんてことが多い気がします。

誰でも他人の欠点ははっきり見えるし、自分に嫌なことをする人は凄く悪い人に思えます。あなたがした良くない事、あなたが言った人の悪口、これを天の父に許してもらっているのだから、あなたも同じようにしなさい。あなたが人に迷惑をかけた時、許してくれた人がいるはずです。あなたも同じように許しなさい。ということだと教えて頂きました。「でも、嫌な人を許すのはとても難しいですね。」と笑っておられました。その後も許すことの大切さをたっぷり教えてくださいました。最初の頃のキリスト教徒は洗礼まで5年くらいかかったそうです。なぜならその洗礼志願者が人を許せるようになるまで待って、それから洗礼を授けたからだそうです。許せる心が希望とつながっているということでした。

すでに洗礼の恵みに与っていますので、「絶対、許さない。」ではなく、今後はせめて「許せるまで、許せるように努力していこう。」、そう思います。